ロック一辺倒で生きてきた私にとって『津軽三味線』『津軽民謡』はリズムの解釈(感じ方)との戦いです。
『感じたまま』『聞いた通り』にできれば良いのでしょうが、歳のせいか?何のせいか?はわかりませんが、そのままできません!
思い出してみれば幼少の頃から、そんな事できた試しがありませんでした。所謂『鈍くさい子』でした。でも、『頭で理解できればできるんだ!』という事にかなり成長してから気が付きました。
という事で、いろいろと整理してみたいと思います。
手拍子
会社員を30年以上もやっていますので若い頃、飲みに連れて行ってくれる先輩は親世代(団塊の世代)前後の人が多かった。
当然の如くカラオケが始まるわけですが、手拍子が合わない事が多かった記憶があります。
ロックやそれらをベースとした音楽で育った世代はスネアに合わせた所謂『裏打ち』で手拍子や拳、頭を振ります。
対する、民謡・演歌等で育った世代は『表打ち』
J-POPを歌っているのに『表打ち』の手拍子で『唄いづらいなぁ~』なんて思った事ありませんか?
テレビの歌番組で演歌歌手がお客さんに手拍子を促すシーンも『表打ち』でした。最近の演歌はバックの演奏自体はほぼロックと同じような構成なので『裏打ち』でも合うはずなのですが?
合いの手
ここからは私の考察です。
民謡の成り立ちを考えると『作業唄』が非常に多いと思われます。
我が国日本の原風景をイメージしたときに『稲作』『漁業』『縄打ち』など様々な場面で唄を唄いながら作業している姿が思い浮かびます。
それと共に私の心にはもう一つの景色が浮かびます。
![](https://image.news.livedoor.com/newsimage/f/3/f36f9_1524_5d248047c190246923517249b74e8af2.jpg)
【上記記事からの引用】日本人の働き方を見て、ロシア人やウズベク人が不思議に思ったのは、皆で重い物を持ち上げたりする時に、「セーノ」とか「ヨイショ」と声を合わせることだった。「何のおまじないなのだ」とウズベク人が聞いてきた。一人の日本人はこう説明した。これはね、皆で重いものを持ち上げる時に、「セーノ」と言ったら、一斉に力を出して持ち上げるんだ。日本人はなるべく皆が一緒に力を合わせてやった方が上手くいくと教えられてきた。それが日本独特の「和」の精神さ。
日本人にとって唄中の手拍子は、ロックのように『一緒にリズムにのろうぜ!』ではなく。歌い手に対する応援=作業の応援=一緒に力を合わせて!=『合いの手』なのだと解釈できます。
間
民謡の『リズム』を『合いの手』として考えると難解と言われる『間』についても見えてきます。
力仕事で掛け声を掛ける時、より重いものを動かそうとした時「セーノ」「ヨイショ」がそれまでよりも長めの間になります。
お神輿担ぎなど経験していれば尚更わかると思いますが『ワッショイ!』や『セイ!』などの掛け声は様々でしょうが、基本的に一定のリズムの掛け声です。時々、神輿が下がってきた時など、気合を入れ直す(肩を入れ直す)時に長めの間になります。
すなわち、唄や演奏に力を入れる時、長めの間になる。という事になります。
では、間はどの程度なのでしょうか?
名人や先生に聞いたところで『適当!』ってことでしょうが、この『適当』って言葉、素人が考える適当=Aboutではありません。
『適当』の意味は2つあります。
①ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと。また、そのさま。相当。
②その場を何とかつくろう程度であること。いい加減なこと。また、そのさま。
私の仕事は製造業、ものづくりの世界におりますが、本来 日本の職人技はまさに① 製造物には図面があり、そこには寸法が記載され、必ず公差というものがあります。
通常、公差範囲内に仕上がれば良いのですが、測定限界ゼロに合わせてくるのが日本の職人です。しかも、繰り返し同じものを作るのであれば、測定もせず『こんなもんだろう!』って感じで出来てしまう。まさに『適当!』
そんなプロの仕事を知っていますから、同様、絶対にルールが有るはずなのです。(名人本人は意識していない事が多いだろうが)
実際に『津軽あいや節』のリズムを分析した結果、リズムが訛る箇所(間がある場所)は『7/16拍子』のタイミングに当てはまる事がわかりました。
この事は偶然にも藤井黎元先生が『Shamisen TV』で言及されています。
『あいや』で苦労したおかげで、その後の『よされ』『三下り』と順調です。
結局、今回も藤井先生の動画紹介みたいになってしまったが、思考ロジックが近いのでしょうか?私としては光栄です。
では、今回はここまで
次回は拍子、シャッフルビートなどを考察したいと思います。
この戦いはまだまだ続きそうです。
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